平家討伐の兄の挙兵を聞いて、平泉から駆けつけた義経一行。
この兄弟が対面したのは今でいう三島のあたりでした。清水町八幡にある、八幡神社の奥に、二人が対面したとされる対面石がある。
今日は、この地を訪ねました。
7月7日、吹きあれる風の中…ここで兄弟が初めて顔と顔を合わせて涙したという、そのシーンが思いおこされるようで、胸がいっぱいになりました。
7月7日、吹きあれる風の中…ここで兄弟が初めて顔と顔を合わせて涙したという、そのシーンが思いおこされるようで、胸がいっぱいになりました。
















6/30の夏越の祓には、
石上神宮さまにお参りすることが多いのですが。
今年は、室町時代に創建されたという
日本橋の小網神社へ参りました。
なんでも、茅の輪の茅を頂戴できるというのです。
その茅を玄関入口に飾ると、この一年
無病息災であるとのこと。
さっそく、茅の輪を、頂きました!!
北野天神さんなどでは、
茅の輪を抜かないで下さいと、よく書いてあります。
だから、これはとても珍しいこと。
嬉しくなって、駆けつけてしまったのでした。その後、皆で茅をきれいに束にしました。。
丸く編んだり、和紙でまとめたり。
《小網神社/由緒》
社伝によれば、むかし武蔵国豊島郡(現・東京23区辺り)
のどこか に
、観音様と弁天様を祀る「萬福庵」という草庵があった。
草庵を開き、観音様と弁天様の像を作ったのは恵心僧郡と伝えられている。
それからずっと時は流れ て、室町時代末期。1466年は悪疫が大流行した年だった。
ある日のこと、草庵に一人の老人が訪ねてきた。老人は網師をしており、海上で稲穂を得て持って きたという。
当時の庵主(住職)は温かく迎え、しばらく滞在してもらうことになった。数日後の夜、庵主の夢枕に恵心僧郡が現れ、
「老人を稲荷大神として祀 れば村の悪疫は消えよう」と告げる。
驚いて目覚めた庵主がすぐに駆けつけてみると、すでに老人の姿は消えていた。
そこで早速、稲荷神社を創建。すると、本 当に悪疫は消え、村人たちは歓喜したとのことだ。
以来、稲荷は「小網稲荷大明神」と称され、江戸町人たちより篤く崇敬されてきた。
近年も、関東大震災や東京大空襲などの際に奇跡を起こし人々を救っ た。そのため「強運厄除の神様」として
現代も多くの参拝者でにぎわう。