2011年3月31日木曜日

宮城県から、ここ東京に戻って。






宮城県から戻りました。ブログを書くべきだと、パソコンに向かいましたが、
被災地のこと、東京でぬくぬくしている私には、今ここでどうしても書くことができません…。

昨日の朝、現地で私が桜月流メンバーと友人たち宛てに書いた携帯メール文があります。
それをここに添付させて頂きます。

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2011年3/30 am 7:20

宮城県の門下生実家の片付けに来ています。近く被災した友人宅へも物資を運びました。

地震にはこの都市は耐えていたと思います。津波です。津波が何もかも持ってゆき、引きずりまわし、ごちゃごちゃにしてゆきました…。 ひどいです。町そのものがなくなっている地には、泥と土台しか残っていません。仙台空港のまわりは、車がひっくり返り連なり持ち上がり、無惨に転がり重なっています。炎上した黒焦げの跡、根本から90度に折れ曲がった鉄柱群、何かわからない木材やなんやかやの瓦礫の山、山、山… ガタガタの道を急ぎ復旧させて、トラックと迷彩の戦車みたいな自衛隊車が通ります。

無惨です、声もでません。どこから手をつけてよいかわかりません。
彼の家は、無事でした。
ここは、住めます。大丈夫です。電気が一昨夜から通りました。漏電を防ぐためにコンセントを全部外しひとつずつ埃を拭いてからプラグに刺してゆきました。

電気があると、夜も片付けができます。時計は15時45分過ぎで止まってます。彼のご家族にも会いました。話聞いて泣きました。みな、紙一重です。お姉さんも人のことばかりきずかいしています。東北の方は、本当に思いやりがあり、あたたかすぎます。
姉君の旦那様は中学の先生。生徒にも亡くなった方が。
差し上げたおまんじゅう、あれ以来はじめて甘いもの食べたと…。

復興にはまだまだまだまだまだ時間がかかる。今までになかったような支援をしないとどうにもならない。気仙沼、陸前高田はこれ以上だというのだから想像ができない。彼の親戚が住む相馬では、今住んでる駅の手前の2駅は、駅ごと津波で何にもない。余震がすごい。恐怖だと思う。こちらは原発のことまで考えていられない感じです。

福島は離れ小島感があります。
福島への支援を、もっとしたほうがいい。田村市近くを通った、山が見えた。ここにも門下生の家が。美しい場所。守りたい。原発のこと、ちゃんと考えなければ。このままじゃダメです。非核化。桜のきれいな、美しいこの地を守らなければ。
正しい情報をください。そう、皆さんおっしゃいます。情報がないから不安になるのです。
そうすれば必要以上に怖くない、そうすれば必要な警戒を怠らない。わからないことが一番の不安なのです。
不安が一番、人から元気を奪うのです。

昨夜、皆で祈りの会をもちました。「マトマシロ」を歌いました。鎮魂のヤマト歌です。

本当に本当に、この日本で、たくさんたくさんたくさんの人が亡くなっている。哀しみがこだましてる。日本中の自衛隊、世界中の救助隊が本当にたくさん来てる。でも、やってもやってもやっても追いつきそうな気がしない。

津波はひどすぎる。
実際に見たら声もでない。
血が見えない、どこかの国の戦地を横断してきたみたい。カサカサじゃなくて、濡れてる戦地。
へしゃげた車と家が泥まみれでたくさんたくさん転がっています。縮尺を間違えたおもちゃであってくれたら…

でも、現実。
さっきまで見ていたものなのに、夜になると信じられない。でも、翌朝、また現実を見る。
被災地の方々はこれをあの日から毎日繰り返してるんだ。
どんなにおつらいか。
書くことも言うこともできない。
手が震えて、メール打つのすごくかかりました。でもお伝えしたくて。皆さんにメール送っています。一斉メールですみません。失礼します。 神谷美保子

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