2015年1月6日火曜日

お正月の私の決意は、「水月」です。

昨日、1/5は満月でしたね。
美保岐玉をはじめて身につけて
初春寿ぎの「法剱の儀」をご披露させて頂きました。



これは、密教の技ですので、法具を使います。


朝、青空に一輪白梅が咲いているのを見つけまして。
すごく清らかな気持ちになりました。



私は白梅が断然好きなんです。おじいちゃんも好きだったから。
香りがすっきりしていて…。
冷たい空気にふわっと白梅を感じると
私が育った京都の白梅町を思い出します。

あぁ、清々しい剱初となりました。
松木くんと一緒に剱祓いをさせて頂いたのですが、
20年目のこの年初めに、
こうして桜月流美剱道の剱が何かのお役に立てたとすれば
こんなに嬉しいことはありません。


昨日も少し水月観音さまのことを書きましたが、少し詳しく
気持ちを書いてみたいと思います。

今年、こうありたいという姿は「水月」なのです。
年末に水月観音さまにお会いする機会があって。

「水月」とは、「水に映る月」のこと。
静やかな水に映る月は、真実そのままのように美しい月です。
水は私の心。
澄みきった清らかな心に映る月は、
私の目の前の空に浮かぶ月と同じように美しいのです。

月はいつだって美しいのに、
水によって、ざわめいたり、ゆらいだり、濁れば、
見えなくなってしまう…。

水は、私の心なのです。

法剱の儀の不眠不休断食行の山籠りの時、
天から聞こえた「姿勢を正せ!」の声。

その密教修行の中で私は多くのことを学びました。
人は天と地を結ぶもの。あるべき形であらねならないのです。

「水月」の心は、私が桜月流美剱道を興した年に出会った言葉でした。
私の特徴はスピードと行動力ではあります。
自分で自分の普段が映された映像を見ると、
小鳥かナキウサギのようで、始終ちょこちょこせわしなく動き、
倍速で瞬きをして、早口でしゃべっています。

でも、そんな小鳥やナキウサギが、心を静めていないかというと、
そんなことはありません。

高い空へと飛び立つ時、空に鳴き叫び歌う時。
すごく心が静やかで無であるような姿見えます。
どこにも迷いも気負いもなく、あるがままにある、
自然にそのようにある、ようです。

神道をしていて、なぜ観音さま? という方もおられるかもしれませんが、
この水月観音さまの精神と美しさは、バッハのパイプオルガンと同じで、
私たちの心を綺麗にしてくれると感じます。

こういう祈りのあるモノを残す人たちは偉大です。
神さまが、そこにいて導かれたようです。

水月観音さまは、水に映るお月さまを眺めておられる図です。



この呼吸が深くなるような造形、このドレープのエレガントなこと。
時が無限で永遠です。どこにも無駄な力がなく、
桜月流美剱道にとっても大切なことを教えてくださるお姿です。

さぁ、今年もよきお手本を胸にまっすぐ行こう!!
そんな気持ちです!!

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