2013年12月19日木曜日

和弓、との出会い!日本古来の弓って、素晴らしい!!

和弓







これが、和弓。
はじめて、ちゃんと拝見したのでありました!



伊勢神宮のご神宝の「梓弓」も作っておられる
京都の弓師 柴田勘十郎氏のお弟子さんで、
相模の国で独り立ちされて弓師として活躍されている
相州重仁さんに、和弓についてお話頂く機会を頂戴した。



焼印に、相州重仁の銘。


弓の変遷や、義経の弓流しのこと。
弓を竹から作っていく様子の実演をしてくださり、
超素晴らしく面白かった!!




真竹と、帝の黄櫨染御袍の黄色を出す
櫨(はぜ)の木を使うんです。




ニベと呼ばれる古来からある鹿(もっと古くはニベという魚)のニカワの接着剤を使って竹や木をくっつけます。これは、鹿の皮を刻んで煮詰めたもの。大変面倒な作業です。

しかし、それが、合成の接着ボンドなどでは出ない、
引き味のいい弓を作る!絶妙なのりとなるのです!

これが、「 ニベもない」の語源。
ニベという接着剤もないぐらい何もない、愛想が悪い、みたいな。



竹は、一年寝かして切り替え削いだものを、
炭で焼いて汗をかかせます。
それを拭くと、きれいな艶がでて、
そこに水をかけると水を弾くんです!!
竹から油分が出て防水されるのです。
しかし、磨きすぎると、それがなくなってしまう…。

そんな風にして、竹、木、竹、竹、竹、木、竹に重ねて、
節や向きや、いろいろ考えながらそのニベで貼りつけ、
麻の縄でぐるぐる手巻きしてゆく。その巻も絶妙。
そして、クロスクロスに巻いた縄の間にいまだに
楔を1本ずつ打ってゆくのです!その楔の打ち方で
しなるカーブを組み立てる。圧縮して締めながら、
絶妙な加減で弓の反りを付けていくんです!!

あと、入木って言って、
和弓は矢を番える辺りで弦が少しだけ右に反らされてるんです。
矢離れした時に、弓が右に少し回転が入るようなってる。
そうすると、最後に弓が自分の方に返ってこないんです。
弓を引き絞る時、左手は雑巾を絞るように左回転を入れます。
初心者はそれがうまくできないから、弦が自分の顔に当たったりします。
入木が強い弓だと、自分に当たらないんだと思います。


で、そんな接着した竹と木。
それを寝かせて、ひっついたら。
もちろん、弓のしなった形になってるんだけど・・・・
それで完成かと思いきや。

今度はせっかく出来たその弓を、大きな弓調整の木に添わせて、
ぐいぐいぐいって、その反りと反対側の反りにひっくり返しちゃう。
反発力をあげて、仕上げてゆくのです!!!超驚き!!
折れちゃうーーーって、思うんだけど折れない。
竹の乾燥具合や、ハゼの木の方向とか、
しなりつつも強度が計算しつくさてるんです。

和弓。
磨きとかカーブとか、こんな美しいかって思う。
日々使ってるカーボンと全然違う。
なんか優しい。持った感覚が違う。すーっとする、清らか。

感動ーーっ!!
やっぱり、和弓じゃなきゃ!!
こんなの見ちゃったら欲しくなっちゃういますーー!!

四季ごとに、調子や感じが変わるんですって。
楽器と同じですね。
湿気に弱いから夏は漆塗りのを使うべきだとか言っていたらしいけど、
それは、ものすごい高価。梓弓は漆塗りです。



さて、義経が弱弓だったといいますが、
どのくらいだったかお聞きしました。



現代人にとっては全然弱くない!当時は40、50キロが普通で。
しかも、今みたいに7枚構造じゃなくて、
源平の頃は3枚構造の弓だったのです。
それで、義経は5分ぐらいの厚さの20キロぐらいをひいていただろうと。



私は7とか8キロを使っています。20キロなんてとても引けない!
今日、40キロを引かせて頂いたけど、全くびくともしなかった!
だから、現代人にとっては全然弱弓じゃないよねって、ことです。


和弓。
すごすぎた。
自分の手の大きさに合わせて作るんだって。
親指の長さとか。 いいな、いいなぁ。



さらに、三十三間堂の通し矢。


ひとりで、24時間13000本を射たというのが最高記録です。
120メートル。実質、18時間しかやってないから、5秒に1本。

「矢継ぎ早」という言葉は、
その120メートルの廊下に
矢が二本飛んでるのが見えたから、この言葉が生まれたらしく…。
そうしたら、2秒に1本!?
それは流石にできない、と思うけど、
矢つがえも、ものすごく早いそうなので、
あの頃、そんな超人がいたりしたのかなぁ。
と、想像されました!

今年は弓道との出会いの年でした。
高校時代から憧れていた弓道。
和弓の魅力に、やられてしまった一日でした。












0 件のコメント:

コメントを投稿