
空飛ぶ「郭公だんご」で有名な
厳美渓のすぐ近くに、
《舞草刀》が展示されていました。
一ノ関博物館です。
舞草刀は、日本刀のもとになった刀。
エミシの一族が馬に乗って使っていた
蕨手刀の後、この舞草刀が登場します。
今は、もう誰にも作ることの出来ない刀。
ここ一ノ関に
神秘的なまじないを行いつつ
刀鍛冶した一大集団がいたのです。
観音山の中腹、その集団はいました。
まさに、義経がここ奥州へ来た頃が
舞草刀の全盛期。
その観音山は、義経が奥州で住んでいた
高館(邸)から、一望できる山です。
金と並んで奥州の自慢の品のひとつだった刀。
きっと、義経も弁慶も、この舞草刀を藤原秀衡から、見せてもらったでしょうし、
何振りか贈られたのではないかと考えます。
舞草神社は、その刀鍛冶集落の跡にあります。
彼らが祈る石仏には、日月のマークが刻まれていました。
残念ながら、撮影禁止だったのでこの刀をここでお見せすることはできません。
しかし、とても美しくて…神秘的な刀でありました。
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