2014年5月23日金曜日

星冑(ほしかぶと) & 筋冑(すじかぶと)。 カッコいい!!甲冑にハマっている私です。

星冑と筋冑。
冑の種類であります。
いま、大学の授業で習っています。
兜とは書かず、冑と書きます。



◆国宝:紺絲威鎧(河野通信奉納)

大山祇神社に奉納されている甲冑です。
河野水軍を率いて、源義経のもとで壇ノ浦合戦を戦った
伊予国守護・河野通信が奉納したという大鎧。
日本三大鎧のひとつと言われています。

この冑は、星冑。
笠鋲が縦に並んで打たれていますよね。
これが、星のように見えます。




五月飾りで、確認、見てみましょう。
頭上に、星が並んでいるのが見えますね!




冑の鉢を分解すると、こんな形です。
この鉄の地板を繋げていくんですね。
工場もないのに、手仕事で、よく考えられたものです。




この台形のような地板の両側にあいている孔に
笠鋲(キノコ型の鋲)を打って星が浮かび上がるわけです。


星冑の方が、筋冑より古いそうなのですが、
この五月飾りの星冑には、鍬形がついていますね。




鍬形がついているということは、
源氏とか平家を名乗れる、名のある大将クラスの冑なのだそうです。

最初の国宝の冑には、鍬形がありません。
河野通信は、軍船を屋島で献上して、
義経と共に壇ノ浦の合戦を戦った伊予水軍の武将です。
この時代、つまり、中世前期までは、
鍬形は大将格以外、誰でも彼でもがつけられるものではなかったので、
河野通信の冑には鍬形がないのです。





さて、時代が遡り、中世後期に登場してくるのが筋冑。
鋲にキノコのような笠の付いた笠鋲ではなく、円柱鋲になり、
鉢の鉄板の地板の繋ぎ目だけが筋になって見えています。
筋冑の主流時代になると、皆が鍬形を着ける様になります。




そんな中、三鍬形のものが登場してきて…。
真ん中の台・祓立てに
このように剣を立てたりして、さらに個性的になってゆきます。




うなじラインを守る
しころが肩まで下がっていたのに、
この三鍬形の筋冑になると、麦わら帽子のつばみたいに
真横に広がって、肩に触らなくなっています。

これは、源平合戦頃までの弓矢戦の防御としての機能から、
打ち物戦 (刀剣、薙刀など)の時代となり動きやすくするために
変化した流れ。刀を扱うのに、重い冑の裾が肩まで垂れていると
肩が上がらなくて、動きづらいのです。

戦いの戦法が変われば、着装するものも変化してくる。
そうですよね、納得です。

打ち物戦が主流の時代になってくると、
まず、冑の頭を叩き割ろうと刀を振り上げるそうです。
もちろん、振り下ろしても冑は強くて割れません。
しかし、脳腫瘍を起こす。そこを狙って首をかく…。
そういう戦法だったようです。

なので、初期の星冑は、源平合戦など弓矢戦の主流時代なので、
冑の鉢(=鉄で出来た帽子のように被る部分)
の裏に直接革張りしているだけだったのですが、
後世、鉢に浮張と言う、空洞やクッションを入れて革張技法が
出てきます。

うーー。
クッション、たくさん入れてもらいたいです…。





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