2011年1月3日月曜日

義経と「牛王宝印」のお話

先日、ご報告した鶴岡八幡宮の「御判行事」で頂いた
「牛王宝印」の護符について、今日はお話しします。

この護符、義経にもゆかりがあるのです。

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実は、この護符にしるされているのは鳥文字です。
古くから伝わるもので、鳥の絵で文字がデザインされているのです。
一枚ものの和紙の上に墨と木版で手刷りされ、朱印が押され、
烏文字で描かれています。
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これは、先日、私が鶴岡八幡宮さまで戴いた「牛王宝印」です。
こちらの神様の使いは鳩なので、鳩の鳥文字で書かれています。



熊野の「熊野山法印」は特に有名で、八咫烏で書かれていますし、
富士山にもそういったお札があるということを聞いた事があります。

さて、この護符、その人の身を守る護符としての利用法の他に、
起請文(誓約書)として用いる方法がありました。

護符として使うときは、
例えば、竃に祀り火難除けしたり、病人の枕に敷き病気平癒を祈願したりします。

そして、「誓約書」として使うときは…。
この牛王符の裏面に誓約ごとを書き誓うのです!

こうすると誓約の内容を神様に対して誓ったことになり、
誓約を破ると天の使いの鳥が一羽(一説に三羽)死に、
約束を破った本人も血を吐いて死に、
地獄に落ちると信じられていた…というのですから
とても威力のある願掛けなのです。
だから、本当に本気で誓願を誓って、
この護符=牛王宝印の裏に、誓願を書き記したのです。


その起源は、古事記でも有名な素戔嗚尊と天照大神の誓約が
起源だという説とか、諸説いろいろありますがハッキリしないそうですが、
しかし、あの有名な歴史書「吾妻鏡」にも載っていたのです!

その「吾妻鏡」の一節にあるのが源義経の「腰越状」の記述です。

兄に謀反の気持ちはみじんもないと、
義経は鎌倉の手前である腰越で血の涙を滲ませて書き上げました。
足止めをされ、鎌倉に入れないまま…
弁慶らと共に腰越の地から兄に託した書き上げた「腰越状」。

かの「腰越状」を、義経は、牛王宝印に誓いを立てて書いたと…
そう「吾妻鏡」に書かれているのです。

その記述を、このたび読んで、私は本当に涙が出る思いでした。
義経は、人質としてほんの子供の頃から鞍馬寺で育ちました。
自分が源氏の頭領の御曹司であるということも聞かされないまま育ちました。
きっと、神仏混合であった鞍馬のお山の信仰心が、強く心の中にあったでしょう。

神様に誓約を立て、命にかけて真実であると…その思いで…。
義経はこの「牛王符」にかけて誓願したのです。

現代にもこうして護符は残っていて、その秘術は伝わってゆく。
その文字の形状に、また、その作法に、あるいは、意(心)が加わって…
なにがしか作動する。いにしえからの方法なのだと思います。


戦国時代になると、大名同士の誓約にも牛王符は使われるようになり
豊臣秀吉の臨終が近くなったとき、徳川家康をはじめとする五大老、五奉行に
「熊野牛王符」に起請文を書かせたとか。
赤穂浪士も討ち入りを前に熊野牛王符に誓約したとも、されています。

4月の「衣川幻想~完全版~」に向かって、
心が引き締まる思いです。

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