2013年7月16日火曜日

手術の日のこと。






7/12手術の日。
本当は19日の予定だったのを繰り上げての手術となりました。
それほど、私の腫瘍の大きくなる速度が早いこと、
PET検査の主治医の先生の直感、そのようなことがあって
私は仕事と大学のあれやこれやをやりくりして入院できる2週間を
作らなければなりませんでした。

仕事は多大な迷惑をかけながらやりくりし、
大学は先生方が、前期試験をレポートや学期末に変えて下さり
なんとか試験ができるように尽くして下さいました。

入院 2日目の手術 当日。
手術室へは徒歩でいきました。
この病棟の2階が全部オペ室。すごい寒い!
たくさんオペ室があって、私はNASAかと思いました。
私の部屋はNo.10。
自動ドアがあいて...。

そしたら、ひろーい40畳ぐらいの部屋の中央にミイラみたいな形の
細いbedがあり、そこに上りなさいって言われました。
中にジェル系の保冷剤にみえるようなのが一面に敷いてあるんだけど、
しかし実際それがぽかぽか!中に入るとぬくぬくです。
右前に大きなモニター。私の心拍とかでるのが見えます。

Dr.大貫チームは7人ぐらいかな。
大貫先生が、「頑張ってね!」って言うと。
麻酔の先生が「これ、大丈夫だから酸素だから吸ってね」って
酸素マスクを着けようとしたら窒息しそうな気持ちになって、拒否!

「大丈夫ですよ、ちょっと慣れないけどね、酸素ですよー。
じゃ、麻酔しますね」って、何かふきかけられたら、げほげほむせて。
「大丈夫ですよ力抜いてね力抜けますか~ …… 」

で、麻酔へおちた。




で、次の記憶は
大貫ドクターの「手術成功しましたよ!! 」っておっしゃった声。

「はい! 」って、多分言えたから。

私の全身麻酔の呼吸器はもう外されてるの??
自分で自力呼吸できてんの??

って思ったけれど、うとうとしてわけわからず。

次には 「酸素マスクを鼻に変えますよ」って言われたのを覚えてる。
だって口で酸素してたのを鼻に変えたら、鼻呼吸だけになる!?
みたいな錯覚に一瞬陥るのです、でも、もちろん鼻吸入器をつけてくれても
口は自分で呼吸できるわけで、そんな全くリスクなしなんですけど。
お!思ったより息できるな...
と思っていました。

その後、知らないうちに病室にきたら、皆がいて。
手をふったら皆が嬉しそうにしたり泣いたりしてて。
でも、とにかくうつらうつら。

そこからは多分ずっと寝ていて。
深夜から朝方からもう痛くて痛くて。
痛ければ押しなさいボタンの痛み止を押すと痛くなくなるんです。
前日に痛くて肺で呼吸しなくなるより、痛み止使って肺を動かす方がいい
と言われていたから痛くなると押していました。

汗だくで寝返りがうてないのをうたせてもらい、
どこをどうしたら痛くないが探せなくて。
長い一日だったなぁ、あの夜から朝までは...。


翌朝、大貫ドクターに会うや、まず、歩くように言われて吐き。
この痛み止の吐き気だから、別の点滴にしようと言われたけど効かず。
しばらく効くのがなくて痛くて痛くて。
泣きそう、動けない、肺で息吸うの痛い。痛い、熱い、痛い!

でも、格闘の末、やっと14日夕方に肺に伸びて入っていた
ドレーン管チューブが外され、かなりの痛みからの開放!

その後、15日午前にメイン点滴のチューブが取れて。
はれて、チューブなしの一個人になりました!!




この度は多くの皆様に
大変なご心配をおかけ致しました。
家族、友人、ファンの方々に支えられました。
これらの多くの御励ましに応えられるよう、はやく退院し、
剱舞の道に邁進できるようつとめます。

今はとにかく、身体を動かすようにとのドクターの仰せです。
右手、右肩の筋力と右肺に力を♡取り戻すこと。
自覚症状皆無だった私が緊急手術をして痛感させられたのは、
元気ゆえの無謀な生活が引き起こした病であったことへの反省。
地球にあった人としての生活、食の大切さ。

大貫ドクターの迅速なご判断には、
もう一度生かして頂いた命であると感謝のひとことです。 さらに、大学の検診がなければわからなかったことを考えるにつけ、 天のご加護だと実感しています。

ほとんど症例がないと言われる不思議な病。
右の肺をしぼませて、
右脇から内視鏡で肋骨の間を掻い潜りながら施すという
手術方法。普段元気な私とは無縁のような出来事でした。
そのまま放っておいたら命をおとしていたような...ことでした。

でも、手術は完璧に成功。
あとは、快復するのみです。頑張ります!
いつも桜月流を支えて下さり本当にありがとうございます。


それにしても病院は本当に大変ですね。
頭が下がります。
最初晩に着いててくれたドクターと看護婦さん。
何でもやってくれたし...。 どれだけナースコールしたか。

ものすごく痛かったけれど、ドレーン管脱いてから、
肺が広がってきて話もしやすくなったし、それまでは、
すぐねむっちゃって、すぐ昼になったり夜になったりしてたけど、
昨日あたりからは、時間の把握もできるようになってきました。


東京女子医大の大貫先生、大貫チームの先生方、看護婦さん。
本当にありがとうございます。
ご恩は一生忘れません。



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