2011年5月26日木曜日

富士山という山は、日本人と一つですね。


こんな青い山、
本当にどこにもありません。


私の父も
富士山が大好きで、
いつも何かあると富士山を
仰いでいました。

だからでしょうか。
私も、どうしてか
富士山を見るのが大好きです。



これは、静岡県側から
見た富士山です。
父は小さい時から、
この光景を見上げて
育ったわけです。









富士山をぐるりしたことがありますか?例えば、東京の方から富士山を見てゆくと、
東名で御殿場あたりから富士山が右側に大きく見えてきます。
そうして山梨側の富士山を越して、
静岡側へ降りて、富士宮の方から朝霧高原のあたりを通って
またまた山梨側の本栖湖や西湖を通って山をぐるりするのです。

富士山の表情って、各方面から見上げてみると
全然そのお顔が違うんですよね。

竹取物語では、
不死の山(ふしのやま)とされる
富士の山。

亡くなった人の魂は、
空と山の接点である
“山の端(は)”にいると
古代人は思っていたといいます。

山の端は、その場所に行くと
もう空との接点じゃなくなってしまって
山の端じゃなくなってしまう…。

だから、絶対に辿り着けないんです。
だから、遠くから見上げるばかり
遠くから眺めるばかり。


そうして、皆、富士山を
仰ぎ見つつけて来たのかな。

喜多郎さんも、毎年
富士山礼賛という奉納演奏をされています。
日本人の心がある場所の象徴なんでしょうね。
桜月流もご一緒させて頂いたことがあります。
朝、ご来光が昇って来ると共に、喜多郎さんの
シンセが最高潮に達します。
喜多郎さんが、富士山と太陽と一体になる瞬間を
私も見ました。

伊勢の近く、三重県の二見ヶ浦からも海の向こうに富士山を見ました。
晴れていれば、飛行機からもいつも見えますよね。

富士山を見ていると、
こんな風に、雄大で大きな存在になりたいと、心から思えてきます。


そして、
清らかな
晴れ晴れとした
気分になります。

そういう富士山は
いつまでも瞼の中に
残っていて
いつでも
思い出せる存在になります。

私にとっても、
いくつかの忘れ難い
富士山の風景があります。

その時を思い出すだけで、
その瞬間にタイプトリップできます。
そういう力がある山ですよね。

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