2011年3月17日木曜日

石神井警察前の魁け桜が満開でした!


桜です!
信じられないのですが、富士街道沿い
石神井警察の前の1本の桜の木は、
ものすごく早咲きで、毎年咲くのです。
エドヒガン系なのか、オオシマザク系なのか
わからないのですが、ちゃんと小さなサクランボの実を
つけるのでソメイヨシノではありません。

その石神井の魁け桜が、今日、満開になりました!
なんとなぐさめられることでしょうか…。

避難所生活の皆様にも、
どうか、どうか桜の春が来るようにと祈らずにはいられません。

今日は原発への冷却放水がありました。命がけで働いてくださっている全ての皆様に感謝します。
私たちは東電で働く全ての皆さんの恩恵に預かって、こうして暮らしてきました。
日常では当り前すぎて、気にも留めていなかった自分を恥ずかしく思います。
そして、このような非常時にあっては、機動隊の皆さん、警察、消防、自衛隊の皆さんに
国民一人一人に変わって、こんなにも最前線で戦って頂き…本当にありがとうございます。

限界点の近い人命救助、支援物資の輸送、そして、原発の対処。
今、どれも、同時進行でなければ人命が保たれない。そんな状態になってしまった。
あの日から1週間。
それまで、こんな日を私たちは全く予想していませんでした。

私は、戦争も経験していないし、被災も経験していない。
だから、きっと何にもわかってないんじゃないかって…今日心底思ったんです。
東京全体停電の可能性の発令でギューギューになっている下り電車を見ながら、そう思いました。

人間には、死への恐怖があります。
どんな小さな動物でも倒れて横たわっていたら、とても怖い。
生前を知っている人が、棺の中に横たわっているのは、もっと哀しく辛く…そして、怖い。
知らない人が事故かなにかで、倒れ果てているのを見てしまったら…きっとものすごく怖い。

ましてや、自分の目の前で、とても沢山の知り合いか知り合いじゃないかもわからぬ人たちが
倒れうもれ亡くなっていたとしたら……。どんなにショックか、私には真の想像ができていないと思う。

そちら側にいったか、こちら側にいたかは、ほんの紙一重のできごとだったでしょう。
しかも、現場によっては、こちら側に居続ける事がもう出来ないかもしれないという恐怖を持ちながら、
救助を待ったり、働いたり、現実を見たりしている。
そんなギリギリの現場を、やっぱり私は何の理解も把握もしていないんだと…当たり前ながら気がついた。

私には、何ができるんだろう。
今苦しんでいる全ての人々に、美しい日本の桜の季節を届けたい。
美しい日本の風景を、安堵した心地の中で、見せてあげたい。

私は、歌い舞うのが生きることだから、
例えば桜になって、例えば風になって、
歌い、剱舞うことしか、できないんだと思いました。

桜の精のように、月の精霊のように、小鳥の化身のように、風の使者のように。
私も、歌って舞おうと、思います。
桜月流の門下一同も、今こそ、ツルギに精進して来るべき日に備えなさい。

皆さんも、ご自分のできることをやってください。
暖房消して、誰かのための情報を収集して、物資が被災地に行くように助力して、募金して、
そして、自分のできる仕事の技を地球の面に出して出して出し尽くしましょう。
自分がクリエイトすべき創造をしましょう。

そうしないと、誰のためにも自分のためにもならない。
天皇陛下もおっしゃっておられたように、被災した皆さんと共に、強く寄り添って助け合って生きましょう。
自分が生きるということが、何なのか、ちゃんと考えて生きましょう。


桜の生命力も、
そう教えてくれているのだと思います。

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