2013年9月3日火曜日

「はじめて教えていただいた剱が、桜月流でよかった。 堺雅人」 感謝の思いでいっぱいです。桜月流美剱道 神谷美保子

「はじめて教えていただいた剱が、桜月流でよかった。 堺雅人」

9/13(金)〜17(日)
桜月流/O-Getsu Ryu
『月のけはひ 〜剱舞と賢知が出会うとき〜』
http://www.o-getsu.com/moon/

この私たち桜月流の新作公演を応援する意味を込めて、
古くからの友人である 堺雅人くんが、この言葉をここに
記させて下さいました。


堺くんと出会ったのは、彼がまだ大学生の頃でした。
一緒に箱根で剱合宿した思い出、
桜月流公演「スサビ」に美しき敵役で出演して下さったこと、
舟盛りを泳がせながら新宿や池袋で飲み明かしたこと...。
楽しかった思い出が、たくさんあります。

私は桜月流美剱道という剱舞流派を率いています。
祖母から一子相伝で継承した歌舞をベースに、
私の代で創流した流派ですので、私がこの道の初代となります。
創流当時から、私についてこの道を共に興してくれたのが、
現師範の 松木史雄、石綱寛、弟の昌志です。

まだ若かった当初、私の名乗った 「宗家」の名を、
そう呼んで口にする者はいませんでした。

しかし、ある日、美剱道場の稽古場に来た堺くんが、
なんの屈託もなくごく自然に、彼は私に言ったのです。
「宗家! 木剱袋がありません!」

私をはじめて「宗家」と呼んでくれた人。
それが、堺雅人くんでした。

私は、この道を創流する時から、
武術と舞の融合を目指していました。
演劇の一部である殺陣とは一線を画したかった。

動きそのものが音楽的で、宇宙的な美剱(みつるぎ)。
古代人にはあったような祈りのある自然界そのもののような
剱舞・ソードダンスを生み出したかったのです。
(あの頃は、こんな風に言葉にはできなかったけれど。)

剱は、人と人・人と自然を調和させるための道具です。
それを体現できる剱舞の道を作りたかった。

当時、「調和」「宇宙的」「祈り」などと言うと、
宗教がかってるとか、ニューエイジだとか言われてしまいました。

でも、堺くんがそんな時も、
「桜月流はこれでいいんだと思うな。公演を観る前に、
神社みたいに手水して皆が姿勢を正して見るような。
桜月流は、それでいいんだよ。日本文化なんだから。」
そう言ってくれたのです。

私がへこたれそうになった時、
いつも彼はなんの屈託もなくさらっと笑いながら、
そんな風に言ってくれる人でした。

今の桜月流美剱道があるのを深く大きく支えてくれた人。
それが、堺くんです。

きっと、本人は私を励まそうとか、何も思っていなくて...。
でも、神さまの言葉みたいに、天から降り注ぐような不思議な
ちょっと高い声で、ふっと、私の心を調えてくれる。

次回作『月のけはひ』は、
桜月流が桜月流にしかできないステージに挑戦する場。

私たちがちょっと何かに迎合したような活動をすると、
堺くんは、いつも見抜いて、むむむっという顔をしました。
でも、もう、そういうことはなくなったはずだと思っています。

今回、寄せてくださった堺くんの言葉。
その温かい心に感謝しつつ、ここにもともとの出典となった
桜月流の一門に贈られた 手紙のような文章を
ここに公開させて頂きます。


堺くんと同じように、
宇宙物理学者の佐治晴夫先生、
樹木医の塚本こなみ先生、
縄文権威の小林達雄先生、
そして、宗教学者の島田裕巳先生が、
ずっとずっと私を根気よく見守り育み、
桜月流の育ての親のように側にいて下さいました。

この四人の賢人の先生方にご出演頂く
新作『月のけはひ』公演。
堺くんの心にも届くように、
桜月流一同、心身尽くして剱舞います。


☆堺雅人さんが寄せてくださったメッセージ
http://www.o-getsu.com/sakai/






 桜月流のみなさんへ。
先日は、剱合わせという、大変みごたえのあるステージをみせていただき、ありがとうございました。
あの時にあいさつされた新人の方々の真似をして、僕も作文をかいてみました。題して

 『わたしと桜月流美剱道』
堺 雅人

 知人の紹介で桜月流をしったのは、もう二十年ちかくも前のことです。はじめて道場で基本十種を教わったときのドキドキは、いまでもよく覚えています。
お稽古の最後におこなわれる発表は、毎回ちいさな公演をするような、緊張とたのしさがありました。
その後、新入りにもかかわらず夏合宿に参加させていただき、公演「スサビ」にも出させていただきました。

 道場の稽古にうかがっていたのは、結局二、三年くらいだったでしょうか。剱のウデはさっぱりで、そのまま稽古もさぼりがちになりました。
その後、おかげさまで俳優としての経験をつむことができ、時代劇にも何度か出演させていただいています。
立ち回りも、新宿スポーツセンターの武道場にくらべると、もっと広い場所で、もっと多くのお客様の前でおこなうようになりました。
 けれども、
「はじめて教えていただいた剱が桜月流でよかった」
と、今でもありがたくおもっています。

 もとより僕には、武道の心得も、立ち回りの知識もありません。しかし普通の殺陣が
「ペラペラと流暢にはなされる会話のセリフ」
だとすれば、桜月でおしえていただいたものは
「ゆっくりと、丁寧に、自分の声を確認しながら口にする、ひとりごと」
のようなものではなかったかと、僕はそんな風におもっています。

 自分を愛せない人間が他人を愛することがむずかしいように、モノローグを言えない俳優が、誰かと会話できるわけがありません。
美剱での稽古は、初心者の僕に
「声のだしかた」
「声をだす楽しさ」
「自分の声のみつけかた」
を手取り足とり教えてくれる時間だった気がします。
それは多分、赤ん坊に四六時中はなしかける母親のような作業ではないでしょうか。
あるいは、親鳥と離れて鳴き声をだせなくなったヒナ鳥に、くりかえし歌をうたって聞かせ、声をだす喜びをおしえてあげるような、そんな作業。

 どんなに流暢にしゃべっていても、自分の声、自分のコトバでなければ、それは虚しい会話です。
反対に、たとえイビツな声でも、どんなにたどたどしい文章でも、自分のペースで呼吸して、必死に目の前の相手に伝えようとしていれば、それだけですばらしい、尊い表現になるはずです。
先日みせていただいた皆さんの発表は、それぞれの立場で、懸命に
「自分なりの声」
を模索されていて、僕はそれにとても感動しました。
そして、その作業に根気づよく付き合ってきたであろう、宗家をはじめとする師範の皆さまにも。

 総評で、松木さんが
「大切なものは技術ではない」
とおっしゃり、また若い門下生の方は
「とはいえ、僕にはまだまだ技術が必要だ」
と話されていましたね。僕はその違いがとてもおもしろく感じられました。どちらの気分もなんとなくわかるような気がしたのです。

 一番大切なのは、きっと
「自分の声やコトバではなすこと」
です。それさえできていれば、会話に技術は必要ありません。もっとも、自分の声やコトバを獲得するための
「技術」
は必要なのでしょう。だれかの包みこむような愛にたすけられ、僕たちはいつの間にか、そうした技術を手にいれているのです。

 道場を離れてひさしい僕に、桜月の剱についてアレコレと言う資格はありません。けれども、あの道場ではじめて
「声を発した」
という縁をたよりにお礼のメールをさせていただきます。
現場で誰かとコミュニケーションをとりながら、自分なりの表現をするそういう意味では、みなさんと同じステージで、おなじ悩みをかかえながら、毎日試行錯誤している同門といえなくもないからです。いやいや、随分とずうずうしい解釈ですが。

 みなさんのご多幸、ご無事、ご活躍、こころからお祈りいたします。また、道場や松風窗にも遊びにいかせていただきますね。どうぞお稽古、がんばってください。







堺雅人


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