2011年9月12日月曜日

今日は、宇宙の日でもあります!

さて、さらに。
今日、9/12は。
中秋の名月 =桜月流公演の前売チケット販売開始日 =宇宙の日 です!
 
宇宙の日。
はやぶさは、去年の6月に戻ってきてくれて、
3億キロかなたの小惑星からのサンプルを持ち帰りました。
今度、NHKでも宇宙の渚からみた映像が放映されますよね。
(宇宙の渚/宇宙と地球の青のぼんやりした境目のところ)

 
9月18日(日) 放送予定。
宇宙の渚 番組情報
http://www.nhk.or.jp/space/nagisa/
 
 




さて。
でも、今日は "中秋の名月+宇宙の日" ですから、
私は最近感動した「月夜の浜辺」という中原中也の詩をご紹介します。
 
 
 月夜の浜辺
 
  月夜の晩に、ボタンが一つ
  波打際に 落ちてゐた。
 
  それを拾って、役立てようと
  僕は思ったわけでもないが
  なぜだかそれを捨てるに忍びず
  僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
 
  月夜の晩に、ボタンが一つ
  波打際に、落ちてゐた。
 
  それを拾って、役立てようと
  僕は思ったわけでもないが
     月に向かってそれは抛(はふ)れず
     浪に向かってそれは抛れず
  僕はそれを、袂に入れた。
 
  月夜の晩に 拾ったボタンは
  指先に沁み、心に沁みた。
  月夜の晩に、拾ったボタンは
  どうしてそれが、捨てられようか?
 
  ........................................(中原中也「在りし日の歌」より)
 
 
私の友人で熱狂的な中原中也ファンがいます。
わたし等、普段、文学=詩と縁遠いので、何も知らないのですが。
彼女は、とにかく私に中也を語ってくれます。
 
浜辺に貝殻やきれいな石が落ちていると、私たちも拾ってしまいますよね。
だから、
「ふーん…わかるなぁ。私も拾っちゃうもん。中也もボタン拾ったちゃったんだね、わかるよね。」
って、言ったんです。そしたら、「そんな風に軽く読んじゃダメ!!」って叱られてしまいました。
 
実は、これは、中也が自分の愛児である2歳の息子さんを、2か月前に亡くしたばかりという時に
書いた詩なんだそうです。
もう、触れることもできなくなってしまった息子。
月夜の浜辺で拾ったボタン。
どんなボタンかは書いてないけれど、その可愛らしいボタンには触れられる。
そのボタンを、とても捨てられない…。だから、たもとに入れた。
 
なんか…。哀しくなってしまった。
まだ、2か月しか経っていないのに。詩にするなんて…やっぱり詩を書くのが生きることだという
人は違うんですね…。書かずにはいられなかったのかな。
 
昨日は、震災から丁度半年という日だったこともあり。
この詩が、さらに深く突き刺さってきました。
今は、中也と同じような気持ちで、この詩を受け止める人が、たくさんいらっしゃるでしょう。
 
どこにも閉じ込められないような哀しみが、
美しい言葉となってあふれてる。
そんな詩です。
 
彼にとって、どんな月夜だったんだろう。どんな浜辺だったんだろう。どんなボタンだったんだろう。
そんな風に思ったのでした。
 
でも、友人が、私にこの詩の背景を教えてくれなかったら
全くこんな事は思わずに、サラッと字面を読んで「きれいな詩だね」で終わりだったのです。
 
同じ文章も、同じ言葉も…
その人がどんな気持ちで言ったのか…
そのことの方がずっと大事なんですね。
 
今日の月を、明るい気持ちで見上げている人と、哀しみに暮れて見上げている人とでは
その心にうつる色が全然違うものになってしまっていること。
ちゃんと知っていなければいけません。
 
だけど、それぞれとって、心に深く染み入るほど、それは美しいもの。
その日の、その月は美しい。
人の思いやりというようなものは、こういうことを少しずつでも知ることからはじまるのかな。
そして、美しいものというのは、どんな人の心にも深く入って来るものなのですね…。
 
宇宙の日。中秋の名月。
そして、桜月公演の前売開始。
 
私たちの公演にも、こういう人の心の大切な部分を、きちんと織り込みたいと思いました。

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