2011年4月13日水曜日

自然界の姿を想起させるような剱舞を求めて


歌うってことは、訴えるということだと、
折口先生に教わりました。
言葉を音楽的な旋律にのせて歌うということは、
訴えるってことなんです。
私がヤマト歌を歌うときの
原点思考のひとつです。

桜月流の剱舞は、
自然界のリズムで音楽的に剱舞います。

言葉を持たずに剱でコミュニケーションします。
つまり、そのそのひと手ひと手の剱が、
音を持たぬ言葉なのです。
だから、剱を振るうのは、
その音なき言葉で訴える、という技芸とも言えるのです。

その剱舞が、ある時は花が咲く姿のように。
ある時は、ある時は激しく吹きあげるつむじ風のように。
全体で、ひとつの姿を想起させるような
剱舞の交錯や連鎖を求めています。


今日も、稽古場で
そんな理想の舞についての話をしました。

春は、自然の生命力を日々感じる季節。
私たちは、そういう自然界の姿に圧倒的に感動して、そのイメージを増幅し
それを写し出す。写し出しているうちに、そのものになってしまうような感覚になる
ほんの一瞬を求めて、また写し出そうとする。

ものまねは、神遊びのはじまりですが、
人々が春の花や風や鳥や月に感じ入るのは、そういう神遊びしていた頃の記憶が
蘇って来るから心地よいのかもしれません。




この桜の森は、
私の秘密の場所です。

ひとりで
ひっそりと
桜との時間を過ごすところ。

福島原発、レベル7。
福島がなくなってしまったら、
日本がなくなってしまったら。

宇宙戦艦ヤマトを小さい頃みて、
「放射能除去装置」をイスカンダルへ
もらいに行く古代くんたちの任務の
凄さに、驚き必死に応援したものでした。

今、まさに、あの状況が起こっているんだなと
思わされます。あのアニメの中の地球には
放射能が充満して、人々は地下に住んでいました。

地上でまた人々が呼吸して住めるように、
宇宙戦艦ヤマトは
イスカンダルという途方もなく遠い星へ
「放射能除去装置」を取りに行くのです。

私たちのイスカンダルは、どこなのかな。
除去装置がないのに、放射能を出したら
あのアニメの中の地球みたいになってしまうのに…。

いつまでも桜が美しい日本でありあすように。
いつまでも、美しい桜を愛でられる日本でありますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿