2011年4月20日水曜日

幸いのさきぶれを司る神さまの話

 折口信夫先生は、『花の話』のなかで中でこんな風に書いておられます。


「花と言ふ語は、簡単に言ふと、ほ・うらと意の近いもので、前兆・先觸れと言ふ位の意味になるらしい。」


花は… 
春の、幸いの、さきぶれなんですね。
本当にそう感じます。


古代の人は、山に自生していた桜を見て、稲の実りを占ったといいます。
その後は、しかるべき場所に桜を植えて、占ったのです。
田んぼをの間ににぽつんと高く咲いている一本桜のある風景を見ますが、
あれはまさしく占い桜ですね。

桜の花が早く散ったら大変。
桜が長く咲いていてくれたら、秋の収穫は豊作となると信じられていました。

お米と桜は、
日本の根本を支えている文化です。

桜月流も海外ツアーに出ますが、
必ず、炊飯器とお米を持ってゆきます。
これだけは、外国へ行ったときの
メンバーのライフラインなのです。

白いごはんさえあれば、
どこの国のおかずでも大丈夫です。
どんなにこってりしても、
お肉オンパレードでも、香辛料でも。

でも、ごはんがなかったら…。
3日ともたず元気がなくなります。






そんな日本人に欠かせないお米の守り神のような存在が、桜の木なんですね。
だから、コノハナサクヤヒメさまは、「水」と「田」と「富士山」と「お酒」と
「火」と「火をおさめる剣」の守り神であらせられるんですね。
幸いのさきぶれとなるものを司る神さまなんだなぁ。

だから、桜を見上げるだけで、私たちは幸福感に満たされるんだなぁ。



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